昨日は築地のことを沢山考えてたら、なんかえび屋で働いていた日々のことが走馬灯のように思い出されて眠れなかった。よし、毒を喰らわば皿まで喰らえ、だ、と思い、明日はスーパーで刺身を買って、この際自分が働いたえび屋でのこと、市場のこと、この世界のことを存分に書いてやろう、と思って眠った。
かくしていきつけのスーパーで買った刺身、三点盛りとマグロのタタキ、二人でおなかパンパンになる位買って〆て738円也。一人400円もせずに豪華な海鮮丼が食える。
なぜスーパーの刺身が安いのか、ということから話を始めよう。
市場には、全部売り切らなければならない、というルールがある。例えば某大手がガーっと大量にえびを市場に投げるとする(いわゆる投売り)。仲買いは必死こいてこれらをさばこうと売りに走るが、えてして投売りは需要に関わらず投げてくるので、売れ残る。売れ残ったらどうなるか、値段が下がる。もう売れない段階でそれを狙っている人たちがいる。彼らはえびを信じられない位の安さで買い叩く。そういったものがスーパーなどでこうやって安く出回ることになる。
むろん投売りはそうやってえびを適正価格から暴落させ価格崩壊に導くので無論商業倫理には逆らうことになる。私のいた会社は前日に仲買いに直に連絡し翌日の注文を聞き、その分だけ送る、という形をとっていたのでまだ良心的だったと思う。
私は毎朝仲買いに電話をして、注文を聞き、値段交渉もしていた。値段交渉の原理はシンプルだ。海外から買い付けたえびの浜値+税関などの仕入れ値の上をいけば黒、下回れば赤、だ。3マルでどーでっか?そりゃキツイわ。ってなことを毎朝やるのである。そうやって注文をとって市場に送ったところでその値段で売れるかどうかはまた別問題。翌朝市場から計算書が送られてきて送ったえびがいくらで売れたかを報告してくる。3マル以上で売ってと言って32で売れれば、ありがとうございますっ!!!と電話、29で設定価格そ下回れば、“どうしたん?もっと頑張ってえな!”と言わなければならない。私はこの“どうしたん?もっと頑張ってえな!”が言えなくてよく社長に怒られた。
毎日が真剣勝負である。
因みに全国の仲買いの人と付き合ってて、一番恐かったのはご他聞にもれず、名古屋と京都。しかし、と同時に彼らは人間臭さもあり、年の納めの日に名古屋とは“いやー楽しかったっすよ”と話し、京都とはしばらく取り引きなかったけれど納めの時だけ“そうか~、ほな付き合いで2ケースもらっとこか”と言われて翌日の計算書を見るとそれはもういい値段で売ってくれていて感動したり、カッコイイ人たちでした。
今名古屋と京都で話しましたが、訂正します。はっきり言ってどこの仲買いもいい人たちでした。名古屋か誰かが「仲買いに悪いヤツはおらん」というのは私の知る限り本当でした。姫路の仲買いにいたっては私が辞める時「オレ、オマエにホント感謝してんのや。オマエこれからなんかあったり、困ったときはウチ来い。オレが面倒見たる。」と言ってくれました。紳士的な人、職人堅気の人、優柔不断な人、ホントに色々な仲買いと会うことができました。
数々の違法行為にも手を染めました。とある千葉の客はヤクザで、よく偽造ハイウェイ・カードをくれました。貧乏会社だったので経費削減のためにドライバー達はこの偽造ハイウェイ・カードを使ってえびを配達していました。ハイエースに同乗しながらちょっと私は無神経に「それ●●のくれた偽造のっすか?」とかドライバーに聞きました。ドライバーは「オレたちも・・・ホントはいやなんだけどね、」と言いました。
ドライバーの労働条件はそれは過酷なものでした。タイムカードで19時間以上などはザラでした(むろん残業手当などありません)。週3、4、時には6日、朝に伊豆に着く便を出すのですが、すなわち午前2時頃来社して(前日の仕事終わりが午後9時として5時間しか経ってないですね)伊豆方面に各所各所で卸しながら朝9時には伊豆、最悪下田まで飛びます。ほとんどの人が1,2週間で辞めていきました。貰う月給も23万、入ってるのは雇用保険と労災だけ、というもので、かなり厳しいものがありました。そんなドライバーに私は過酷な仕打ちをしたこともあります。配達を待ってしびれをきらすお客から電話を何度ももらって、とにかく急ぐようにドライバーに言って!!!と言われ、戦略上電話しないわけにはいかないので運転中のドライバーのケータイをリンリン鳴らします。ドライバーも怒っています。「オレもう信号無視2回してますよ!!!」そう言われても「すいません。兎に角急いで、と言われました!!!」と言いました。
ドライバーの過酷さは目に見えてわかるので、私がえび屋にいた時最も力を注いだのは、伝達ミスをなくして効率よく、ドライバーに無駄に走らせないこと、この一点でした。
劣悪な労働条件、環境、それはどこでも同じでした。人員が定まらない会社に目をつけて、派遣のドライバー会社の営業がよく電話をかけてきました。オレはもう悲鳴にも似た気持ちで「ホントにいいですから。もうかけてこないで下さい!!!」と対応していました。同じ頃、名古屋で事件が起こりました。派遣のドライバーをやっていた男が給料総額17,8万円の未払いに不満を持ち会社に火をつけて社員を殺しました。俺はあの時笑えなかった。その男にとって17万程度と思われるお金がどれだけ大きかったか、わかったからだ。私事ながら自分も絶望的な中で11、12万円の中で過ごしていたこともあったのだ。そしてもちろん自分の会社のドライバーたちの働きも見ていた。
またある時は仕事でミスをした私が千葉まで一人のドライバーと謝りにいったこともあった。前述のヤクザである。全身紫色のスーツで身を固めたそのオヤジにオレは心底びびった。食事が出され、オヤジはそのミスのことをポツポツと言いながらビールを注いだ。当然ドライバーには帰りの運転があるのだが、断って切れられてエンコつめられても面白くないので一口飲んで(舐めて)また注いでもらう、ということを繰り返した。今ではいい思い出だ。
また別の時にはそのオヤジが密漁アワビを手に入れた、ということで電話してきた。そこでその密漁アワビを50kg、どう引き渡してもらうか、ということになって、当然バレたらまずいのでオヤジの案で浦和インターで引渡し、ということになった。それをドライバーに伝えたら「はあ、あのオヤジさんバカですねえ。浦和インターで引渡しって・・・ぬおおお!!!」と言って車ですれ違いざまに50kgのあわびを手渡す仕草をして見せた。一番笑った瞬間であった。浦和インターの路肩、ってことなのですけれど、常に笑いをとることを忘れないドライバーは車と車ですれ違いざまに50kgのあわびを手渡す、という風に解釈してみせたのだ。そのドライバーは私が31年の生きてて出会った中で、今でも一番面白かったなあ、と思わせるものだ。前科があり、明るかった。
塀の中で懲りた面々は他にもいて同い年で一番仲の良かったS君もそうだった。S君は本当は高校を中退していたが、履歴書ではきっちり、卒業、と書いていた。同じく仲の良かったTちゃんは朝鮮人学校だったため中卒ということになるのだが、架空の高校を仕立て上げる、というダイナミックな作戦に出て高卒に躍り出た。女の子のT子は年齢詐称してて、最後の飲み会でカミング・アウトされた。みんなしたたかで、生きるためにはあらゆる手段を尽くす、ということを私はあそこで学んだような気がする。
私はえび屋で運転と経理以外の全てをやったが、会社で英語を話すのが私一人ということもあって海外からの仕入れは全て私が行った。そこで板ばさみになることもしばしばだった。つまり天然モノ、つまり自然を相手にしている限り、確実で定期的な供給というのは望めない。しかしこのことは仕事をする上では触れてはいけないタブーだった。客はえびを売るのがえび屋だと思っているから当然注文をする。しかしこの時在庫がなくて断るというのは卸売り店として致命的なことだ。サウス・アフリカ産のロブスターのかなり大口の注文を前もって言われ、サウス・アフリカに問い合わせて、嵐のため漁に出れない、と言われた時には困った。まあ、そんなんばっかりなのだが。客にそのことを告げるとやはり怒り心頭、サウス・アフリカか何だか知らねえが、もっと強く言って取り寄せろや!!!と言われ泣く泣くまたサウス・アフリカへ電話。大口の客がいてもう注文とっちゃって怒りまくってんだ、何とかしてくれ、と言うと、だから嵐で漁ができないって言ってるでしょ?そこを何とかしてえな、あんた、私たちに死ねって言ってるの?そうは言ってないけど・・・、うう。そんなことはザラだった。実際サウス・アフリカの嵐というのは凄いらしく、車も何もかも吹っ飛ぶそうだ。
そんな風に命がけの海から飛行機に乗って私の会社の水槽に、そしてドライバー達の車に乗って客の下へ、これをパンクチュアルに、安全に(?)、活魚なので商品が死なないように(死んだら商品ではなくなる)、しかも儲けを出すようにするのが私の仕事だったと考えると途方もない。
しかも料亭などのうるさ方や高慢なレストランなどでは私たちのような業者は低く見られ、そのことに腹を立てた私がドライバーたちに、「あんなん言われていいんすかっ?」と聞くとドライバー達は「まあそんなもんでしょう。」と言う。一番面白い前科モノのドライバーは「やっぱ車がハイエースじゃダメでしょう。俺たちもごっつい水槽車買って車体に●●会社●●とか書いたらいいんじゃないでしょうか!」とか最近じゃ族でも考えないようなことを言って笑っては、私たちはこのドライバーたちが本当に愛おしかった。
まあ、この人たちのおかげでえびが調理できたり食べれたりするんだから、偉ぶる客は少しそのこと考えて欲しいです。
前に韓国人の友人と話した時、どんなところと取り引きしてるの?と訊かれ、うーん、オーストラリアとかサウス・アフリカとか・・・、と答えると、どれも人種差別してる国だね、と言った。そーいえばそーだねー、とその時は天然かまして流したのだが、実際人種差別について考える機会もあった。
それはサウス・アフリカのえび業者を新規開拓して、東京に来てもらったときのことだ。4人の重役たちが事務所に来たが、これがまた揃いも揃って白人だった。人口で黒人が大勢を占めるサウス・アフリカで、重役が全員白人というのも笑えた。まあ。これは人種差別というより、根っこにある経済格差がうかがわれるが。まあ実情はわからない。
それよりも生々しい出来事があった。私がサウス・アフリカのあわび業者の新規開拓に奔走している時、とある場所でサウス・アフリカの水産業社のリストを手に入れた。喜び勇んで当地に連絡すると、すでに日本向けには●●というエージェントがあって、そこに一括納品している、とのこと。これが一箇所ではなく多くの南アの業者を●●が独占的に買い占めていた。私は●●に連絡し、商談のため会社に招いた。その途中、私は余りにも無邪気に、なんでそんな商売関係沢山持ってるんですか?どうやってるんすか?とかスーツの兄ちゃんに聞いたりしてた。その時は煙に巻かれたが、また別の機会に●●の人が会社を訪れたときに、オレは相変わらず呑気に、どうやってるんすか?と訊いた。すると、やや飛ばし飛ばしながら答えてくれたのだが、その時私は彼が「~アパルトヘイトの時代からやってて・・・」と言っているのを聞き逃さなかった。
予備校時代、世界史の授業で、アパルトヘイトに反対する国際世論が経済封鎖を敢行した。しかしただ一つだけこの経済封鎖を無視して商売に走った国がある。日本だ。そう聞いた時の事をはっきり覚えている。私は情けなかった。少なくとも当時は今よりも自分を日本人として、世界の中の日本人として強く意識していたからだ。この日本人の行動が、南アで黒人にも『黄色い白人』として嫌われ、白人にも嫌われていたことを知っている。
それが目の前にいた。
その時、特に私は何も感じなかった。ナルホド、そうか。在庫いっぱい抱えてていいなあ、位にしか思わなかったのを覚えている。
そろそろ閉じようと思う。
昨日眠りにつく時は、さらに誇大妄想がひろがって、サウス・アフリカからネルソン・マンデラの民主主義、スティーヴ・ビコやマルコムXの意識改革のこと、さらにONE LOVEを歌いながら不当に対してWARを叫ぶ、その癖いつも不安に駆られ、ピス(銃)を欲しがっていたボブ・マーレー、そして非暴力でインド独立を果たした20世紀の奇跡マハトマ、マハトマと同じく他者との共存・融和を説いてマハトマが自分の宗派であるヒンドゥー教徒の青年に殺されたように自分の種族であるユダヤ人の青年に殺されたラビン、ある時日本の全権を手にしながらそれを手放してカンパニーをやろうとした坂本龍馬(彼は主義主張ではなく経済的利潤が世界を動かすようになることを知っていた。今ではどっちがいいのかわからない。少なくともアパルトヘイトに対する経済封鎖は評価されていいと思う。ネルソン・マンデラはもちろん、デクラークも時代の流れをわかってた。)など、あらゆることに考えが及んで眠れなかった。
でもそれはそれとしてえび屋時代は私の青春でした。
もちろんまだまだ青春ぶっこきたく思いますが、その折には皆さん主張をぶつけ合って、殴り合って、そして眠りましょう。かしこ。